序章・  




 もう10年も経ってしまいました。

 あのころの私は、上級校への進学が決まり、養父母となる人たちとの手紙のやりとりをしていました。私が存分に勉強できるようにと、かえでさんとカイェク先生が探してくださった、信頼できる方たちです。実際会ってみると、なるほど、優しく、物腰の上品な初老のご夫婦でした。私は15歳でした。

 成人する15歳を迎えるにあたり、私を上京させるのはかえでさんが最初に提案したことです。
 「おーちゃんはこんな田舎に埋もれさせておくにはもったいないわ。上京して思いっきり勉強できるところ、行きたくない?」
 たしかに、私たちの住んでいた地域は農業で生計を立てている人がほとんどの、つまりは田舎でした。学校も図書館もありましたが、私がそれらに物足りなさを感じていたことを知っていたのでしょう。私がハイと返事をするのと同時に、かえでさんたちはすぐさま私の引き取り先を検討し始めました。
 どんなやりとりが交わされたのか、詳しいことは聞かされませんでしたが、かえでさんたちご兄妹の紹介だという、それだけで私は安心することができたのでした。
 ほぼ同時に、同い年のジン君(ハルニスのことです。仲間内ではそう呼びます)の身の振り方も決まり、あとは身の回りのものを片付けておくばかりとなったとき、ふと、荷物を整頓する手が止まりました。

 この数ヶ月…いえ、一年ほどでしょうか。その間に何があったのか、かえでさんの様子が少し変わったことには気づいていました。そして、そのころ活発になっていたレジスタンスの活動がなぜか頭をよぎります。

 私たちの耳に入ってきていたのは、レジスタンスが国の要人を暗殺して回っているということと、その戦いがもっと大きくなりそうだ、という話でした。田舎で手に入る情報といえばその程度のものです。思えば鈍い話ですが、かえでさんが、その活動に関わっていたとわかったのは、上京するほんの少し前だったのです。
 彼女がそんな活動に加担しているとは思いもよりませんでした。それが果たして私自身の中で意識的にだったのか、無意識的にだったのかは、もうわかりません。
 だってかえでさんには歌姫としての仕事があったのです。そうして生計を立てていたのですから。その仕事が忙しいのだ、きっとどこかで一生懸命歌っているのだ、だからこれまでよりも少し疲れた様子なのだ、それだけのこと、何も心配は無い、何も心配することは無い、と私は、一体誰になのか、自分自身になのか、一緒に暮らしていた仲間たちになのか、言い聞かせていました。

 けれど、結局知ることになるのです。

 私とジン君の行き先が決まると、それを見届けるのを待っていたかのように、かえでさんはどこかへ行ってしまいました。行き先は誰も知りません。たまに遠出をすることはあっても、これまではちゃんと行き先も、帰る時期も告げてくれていたのに。

 私は鳥たちに聞きました。
 長い黒髪の、目の大きな、きれいな歌声の女の人を知らない?私の恩師なの。大事な人なの。まだ帰ってこないの。みんな心配してるの。どこにいるか、知らない?いつ帰ってくるか、知らない?元気でいるか、知らない?
 鳥たちは少し相談をして、答えました。

――戦場
――戦ってるよ
――歌っているよ
――つぐみの歌を歌っているよ

 私はそれきり、鳥に聞くことをやめました。このことは誰にも言いませんでした。

 一ヶ月、二ヶ月、かえでさんは帰ってきません。まだかな、どうしたのかな、ジン君は誰にともなく言っていました。同じように仕事だと言って帰ってこない、カイェク先生の不在も、私たちを心細くさせました。おそいなあ、と何度もジン君はつぶやきます。

 できることならかえでさんたちに自分たちの門出を見送ってもらいたい、口に出すことはせずとも、私たちはそう思っていました。早く帰ってきて。早く帰ってきて。
 もう出発まであと数日しかない!という時期になって、かえでさんはやっと帰ってきました。
 たったひとにぎりの髪の束だけになって。