2・  



 夕方から降り出した雨が、まっすぐに地面に吸い込まれてゆきます。風はありません。

 ゆうべ少年から聞いた話を、ずっと考えていました。彼は、例によって今朝も元気に起き上がり、朝食を摂って、剣の鍛錬だと外へ飛び出してゆきました。やはり、夢のことは忘れているようです。よかった。今日に限って覚えているなどということになったら、どうしようと思っていましたから。

 しかし、これであの内容を知っている人間は私一人になったということになります。

 いいえ、私の予想が正しければ、あと一人、いるのです。もう生きてはいない、あの人。幽鬼となって、現世にとどまっている、私の恩師。十年前、私たちを置いて消えてしまった人。

 ごめんね、ユース。私、約束を破るわね。


 「ひゃー!」

 少年は雨に濡れながら帰ってきました。鍛錬で熱くなった体が雨で冷えたらしく、すぐにお風呂に向かうようです。
 その子に向かって、お側付きのかえでさんが注意します。

 「よくあたたまるのですよ。お風邪を召しますわ」
 「わかってる!ルークもおいで!」

 少年は子竜を抱えて脱衣所へ消えていきました。

 私は、一人になったかえでさんに近づきました。

 「なぁに?おーちゃん」

 かえでさんは、私のことを子供のころと同じように呼びます。優しい声です。私の記憶から、思い出を引き出すやわらかい声です。

 「お話があります」
 「ここでは駄目そうね。あなたの部屋へ行きましょうか」

 私の表情から読み取ったのでしょう、真剣な話だと察するなり、二階の私の部屋へと場所を指定されました。反対する理由はありません。私たちは場所を変えました。

 「雨ねぇ…。急に降ってくるもんだから、ユース様濡れちゃったわ。お可哀想に」

 私の部屋の窓から外を覗き、かえでさんがつぶやきます。この冗談に、私はくすりと笑いました。人間に感じ取れないものを感知できるあなたが、何を言うのですか。

 「雨が降ることくらい、わかっていたんでしょう?それでもすぐに帰ってこなかったのは、イジワルですか?それとも、ユースの我が侭ですか?」
 「あはは!わたくしは何度も早く帰ろうって言ったのよ!それでも、まだまだ!って修行をやめないの!そりゃもう熱心なんだから!雨が降り出しても、これくらいならまだ大丈夫だって自信たっぷりだし。体が冷えだしてからやっと気がついて帰る気になったと言うんだから、呆れちゃうわよね!」

 かえでさんはケラケラと笑い、そして私の顔を覗き込み、「伸びるわよ、あの子」と得意げに言いました。

 「あなたやカイェク先生よりもですか?」
 「さあね。私たちは”印の子”だし、いくら肉親とは言っても、あの子は普通の人間だし。普通の人間と比べるのはちょっとねぇ。でもとっても優しくて、楽しい子だわ。まあ国語はちょっとアレだけど、頭でっかちの理屈屋よりずっとましだわ。私、うれしいの」
 「優しい子です。本当に…」
 「でしょう?」

 かえでさんは胸を張って、実の甥であり、主君である少年を誇らしげに語ります。

 「そういえば、こんな雨の日に、私、ユースを泣かせたことがあるんですよ」
 「?」
 「二人で傘さして、買い物に出たんです。私は本屋に注文した本を受け取りに、ユースは荷物を持って貰うかわりにおやつを買ってあげる約束で、連れ立って家を出たんです」
 「あはは」
 「でも途中で足が痛み出しまして。雨の日は湿気のせいでよくあるんです。義足の内部で何か起こるらしくて、生身の足との接点がずれて、痛むことが。それでユースに『義足が痛むの。ちょっと待って』って言ったんです。でも少し調整すれば済むことですから、なんということはないのですけど……とにかく義足を直して、さあこれで大丈夫、と立ち上がってみたら、ユースがこっちを見て、泣いてるんです。傘を持ったまま、涙をポタポタこぼして…最初はどうしたのかと驚いたのですけど……」
 「……」
 「かえでさん、今日のお話はユースのことです」

 かえでさんは黙っています。

 「どうして、あの子にあなたの体験を夢に見させるのですか?まだあんな子供なのに、ただでさえ優しいあの子に、あなたの一生を受け止めきれるとお思いですか?」