| 「あら面白いの読んでるのね」 「あ、それは」 気付かれた。 「でもこういうのって持ち出しちゃっていいものなの?」 「…それは公式のものではありません。私が軍の資料を書き写したものです」 「え?手作業で、一文字ずつ?」 「はい」 しまった。開いたままにしておくべきではなかった。この国に来てからというもの、私はうかつな行動をとりすぎる。それほど気が緩んでいるのか。 「うひゃ〜大変だったでしょ〜。相変わらず熱心よね〜本物の本みたい。うん、字もキレイ」 かえでさんが机の上に開いてあったをパラパラとめくりながら、中の文字に目を走らせています。 私は自分の字が嫌いです。無機質な印象の、ただ整っているというだけの字だと、自分で見て思うのです。「キレイ」だというのはいかにも特徴の無い無個性な字だと指摘されているかのようで、言われるたびに悲しくなるのです。しかし言うほうはそんな深い意味など込めておらず、ただ純粋に褒めているのだとわかっています。自分でも少し神経質だとは、わかっているのですが…。 しかし、かえでさんの言葉には一つも、私を傷つけるものは感じません。 私が素直に受け入れられるのはかえでさんの言葉のみなのだと実感します。 私はこの人の力になりたかった。 「手書きの本なのに、これ、表紙も本格的よ?あ、タイトルが……」 「ええ、新しい本を買って、カバーをはがしてその文書に貼り付けました。一見すると既製品のようでしょう?」 「芸の細かいこと!おーちゃんてば手先も器用よね。でもこういう内容だなんてどっかにバレたらまずいもんねぇ。これくらいしなけりゃねぇ」 「そうでしょう?だからこのこと、黙っていてくださいね」 「わかってるわかってる!」 少し、なごやかな雰囲気になりました。 『約束よ?』 『約束ね!』 子供のようなやりとりです。私はやはり、この人が好きなのです。話ができるのが嬉しい。 「しかしまあ…なつかしいものをほじくり返してきたものねぇ…」 「かえでさん、私ね、この記録を見るために軍師になったんですよ」 「あらそうなの?」 そうなのです。10年前のあの内戦の記録ですからね。貴女が殺された、あの内戦の詳しい記録を知るために、私は軍師の道を選んだのですよ。 「こういう記録は、それなりの地位のある人や、軍学校の関係者しか閲覧はできませんから。研究者ですら立ち入り禁止の場所があるんです」 「へぇー。おーちゃんてばそんなにエライ地位にいるんだ」 「軍学校では首席でしたから、特別に何度か入れてもらいました」 「わお」 「その度に少しずつ写しとって…そんなに量が無くて幸いでした。バレたら退学ものでしたけどね」 「あはははは!いい度胸してるわ!さすがウチの子だわ!!」 かえでさんは明るく笑ってくれます。しかし、今の会話でおかしい点に気付いたのでしょう。 「あれ?おーちゃん普通の大学出たんじゃなかったっけ?その後で軍学校にも行ったの?」 「ハイ」 「軍学校ってそんなに簡単に入れるものなの?それにまた何年も勉強するなんて大変じゃない」 「編入したんです。軍学校そのものはすぐ卒業できました」 「編入っていうと、一年生から始めなくてもよくて、一気に三年生に入れたりする制度よね」 「ハイ」 「それでも大変だったでしょうに。全然違う勉強するんでしょ?」 「いいえ。大学にいた時点で、そういう勉強もしていましたから」 今、思えば不思議なことだった。何か予感していたのだろうか。私はそのころは政治家になろうと思っていた。なのに、当時在籍していた学部と関係の無い科目まで受講していた。可能な限りの授業に顔を出し……とにかく多くの情報を、情報を、情報を! 何かを知ろうとしていた。卒業後に起こる事件を予感していたのだろうか。軍師という道を選ぶという予感がしていたのだろうか。これが印の子であるということだろうか。 「わたくしには理解できないわぁ〜。そんな、学校はしごしてまで難しい勉強するなんてぇ〜。算数は分数の割り算で挫折したしぃ〜楽譜も読めないしぃ〜」 「私だけ特別みたいに言わないでください。私だってかえでさんのようには歌えないんですから」 「あはははは。血ヘド吐いて歌ってたからね〜。そう言ってもらえると生きてた甲斐があるというものだわ」 かえでさんはしばらくソファでころころ転がっていましたが、また音もなく浮き上がって机の上の本を手に取りました。中身を何度も何度も見て…そしてやっと口を開いてくれました。 「ふぅん……これで全部?」 「はい。閲覧可能な資料から書き取った全てです」 「少なくないかしら?」 「……私もそう思います。その上…」 「なぁに?」 「これは憶測ですが、政府は“シルシの乱”そのものの存在を抹消しようとしているのではないでしょうか」 「……何?」 “シルシの乱”とは印の子たちの起こした10年前の反乱のことです。印の子の印をシルシを読んだだけの呼び方です。かえでさんはこの乱に参戦し、殺されました。殺した人物が誰であるかも、この資料をよく読んだ者ならわかるようになっています。 「どういう意味かしら?」 「私の憶測ですが……貴女の故郷“竜神の谷”を地図から消したように、内乱そのものも『なかったこと』にしようとしている。そんな気配が感じ取れるのです」 「……」 歴史の捏造、改ざん、抹消はどこの国にもあることです。時の権力者がそう判断したならば。 30年…50年…時が経てば経つほど人の記憶はあいまいとなり、あったはずのものも無かったことになり、ありもしなかったことが存在したことになる。資料は偽造が可能。その偽造された資料を基に、さらに歴史はいじくりまわされる。人の口は100年もすれば完全に消える。または別の形となって語り継がれ、変化する。 “竜神の谷”もそうなるはずでした。緑青斑によって滅んでしまった、かえでさんたちの故郷、カイェク先生が治めることになるはずだった小さな国。竜神の谷は、秘技を駆使した装飾品の国でしたから、人の出入りもごく限られたものだったと聞きます。つまり秘伝の技が漏れ出さないようにとの配慮です。 その竜神の谷が滅んでしまった後、何かが起こったのです。本来、緑青斑で潰れた土地は「元○○国跡」「元○○市跡」などと地図には示されるのが普通です。ところが、竜神の谷は地図から消されてしまいました。竜神の谷の表記のある古い地図はすべて破棄され、新しい地図には谷があったという痕跡が一つも残されていなかったのです。それも、数十年もすれば人々の記憶から消えていったことでしょう。 「そうね。シルシの乱なんて、あいつらには都合悪いものね」 「は」 「ねぇ、おーちゃん。この本に出てくる『同盟軍代表・レンファ殿』って、コレ私のことよね」 「………」 「案外詳しく書き残してくれたのねぇ、あの時の書記さん。この時の会談ってね同盟軍代表のわたくしが一人、王国軍代表が一人、そして書記さんが一人、と3人だけだったのよ。ん、ちゃんと書いてある。なつかしいわ、覚えてるわ。会談のための部屋に通されたとき、その書記さんてば目ぇ見開いてたけど、失礼よね。 でも無理もないか〜。まさか代表が女で、しかも片目がつぶれてて足が一本無かっただなんて、びっくりするわよねぇ。でも普通そういうことって書き残すの?よぉっぽど驚いたのかしらねぇ?あはははは!戦争があったっていうのに、キモの小さいこと!」 ――お前が死ねばよかったんだ!!! ああ、嫌な記憶。 「びっくりしたでしょ?おーちゃん…これ読んだとき…。私もね、片足なくしたの、戦闘のときケガしちゃってね。んー…あんまり知られたくなかったなー。右目もやられちゃってさ。できれば知ってほしくなかったんだけど…でもこういう記録が残っちゃっちゃってたんじゃーしょうがないかぁ」 『かえしてぇええええええ!!!』 ? 何か聞こえた? 「この会談の翌日だったわね。わたし、死んだ」 そう、この会談の翌日、シルシの乱は終わったのです。 |