2・  



 かえでさん、何も聞こえてない?

 たしかに「かえして」と叫ぶ声が聞こえた。
 返す?帰す?反す?還す?どれだろう。まさか孵す、ではないだろうし。

 「この時の会談は時間ばっかりかかって結局何も変わらずに終わったのよね」
 「かえでさん、この会談をどうして受けたんですか」
 「え?」
 「しかも護衛もつけず、その…足も目も不自由な状態で…敵の陣へなんて普通は行きません。考えられません」
 「ああ、そういうこと。まあ一応味方にも止められたのよ。これはワナだろうから行くなって」
 「当たり前です」
 「けどせっかくのラブレターだし、これは行かなきゃと思ってね」
 「殺されていたかもしれないんですよ?……いえ、もっとひどいことになっていたかもしれないのに…ラブレターだなんてそんな軽い考えで」

 ただでさえ、女が戦争に参加するということは、命を奪われる以上の恥辱を覚悟しなければなりません。かえでさんがそれを考えなかったとは思えない。

 「だって直筆だったんだもん」
 「は…?」
 「私たち同盟軍に対して、王国軍はそれまで3回使者をよこしたのよね。降伏しなさい、今なら命は助けてやるから話し合いましょう、と…知ってるでしょ?」
 「はい」
 「じゃあ私たちが、毎回その使者の首を斬って返してたことも知ってるわね。計、首三個送り返したわけ」
 「…はい」
 「でもね、4回目に来た書状は、王国軍代表が自ら筆をとったものだったの。そのときの嬉しさったらもう、天にも昇る心地というかねー…もうー…嬉しかったなぁ」
 
 王国軍代表直筆の書状だった…それだけでこの人は敵陣に一人乗り込んだのか…。
 人の心ってそういうものかしら?恋とはそういうものかしら?

 「4度目の使者が来たときにもね、本当は首はねて送り返してやろうと思ってたのよ。でも手紙見たら気が変わっちゃってね。あはははは。思わず丁寧にお返事書いてお返しして差し上げたわ。あのときの使者さんはラッキーだったわねぇ。命拾いして」

 かえでさん、私は冷たい人間ですからね。
 私はね、ずっとずっと、寂しさも悲しさも知らずに生きてきたんです。おかしいでしょう?あなたの髪の毛が届いたとき、どこか冷静な自分がいて、それが別のところから自分自身を眺め降ろしているような感覚がずっとあったんです。素直に泣けない人間なんです。

 それがね、それが、この会談の記録を読んだとき、はじめて“捕まった”んですよ。

 かえでさんの前に冷え冷えと横たわっていた孤独に、埋めても埋めても埋まらなかった底なしの悲しみに、初めて触れました。“捕まった”んです。この記録を見て、はじめてさびしさや悲しみや孤独に“追いつかれ”ました。とても辛い感情なんですね。私知らなかった。

 私は知らずに生きてきた。……変でしょう?おかしいでしょう?かえでさん……。

 「だってとっても素敵な字だったんだもの。憧れて憧れて、でも届かなくて、悲しくて悲しくて泣きに泣いた、その人からの手紙だったんだもの。これは受けずにはおれないでしょー」


 ねぇ、聞いてる?聞こえてる?かえでさん、私の声。声にならない声。


 記録にはこうあります。

 『王国軍代表カイェク・ジム殿の和議提案に同盟軍代表レンファ殿より初めて返答あり。曰く「会談の場所・日時を指定されたし。我が軍からは代表一名のみが参加予定。貴軍の参加人数は問わず。ただし、王国軍代表殿の参列が絶対条件とさせていただきたい」との旨。』

 王国軍代表であったカイェク先生の直筆であったというだけで、かえでさんは和議の会談に参加したという。いくら実の兄とはいえ、敵である以上、騙されるかもしれないのに…。いくら恋していたからといって、殺されていたかもしれないのに…。



 「騙されてもいいと思ったのよ」



 !?

 今、聞こえた?聞こえたの、私の声?かえでさん?

 「そりゃ信じたかったわよ。でも騙されたかったのよ」