7・  



 聞いてる?聞こえてる?私の声。声にならない声。

 

 かえでさんは私の話を黙って聞いてくださいました。
 そして同時に、私が思い出しながら話す合間合間に、かえでさんが足をなくしたときの状況が、鮮明に私の脳に映し出されてきました。

 かえでさん、足を怪我したのですね?それでも戦い続けて、そしてもう切断するしかなくなって、切り落とされたのですね?怖かったのですね?そしてそんな状況の中でもまだカイェク先生を慕ってやまなかったのですね?恋しくて恋しくてたまらなかったのですね?

 

 『ねぇ、にいさま。いつ帰るの?』

 

 ああ、まだ記憶の流出が止まっていない。今度は小さな女の子のころの記憶だ。かえでさんは自分で気付いていない。かえでさんの中に、何かがいる。
 何なの?誰なのお前は。絶対にかえでさんじゃない。本当のかえでさんなら、私たちを苦しませるようなことはしないもの。

 

 『おおきくなったら帰ってくるんだ。大人になったら帰ってくるんだ。大人になったらにいさまはむかえに来てくれるんだ。だから私はそれまで歌を歌おう。がんばって歌を歌おう。そうして、いつか大人になって、にいさまに会うわ。』

 

 「おーちゃん、きっとシルシの乱は歴史から消されるわね」
 「私はそう思っています」
 「歌姫で一般人だったかえでという人間と、レジスタンスの幹部だったレンファという人間が同一人物だと知っている者は少ないわ。あなたたちやハルニスの家に迷惑がいくことは無いと思ってた」
 「………」
 「でもシルシの乱のせいでますます印の子の立場は悪いものになったのね。おーちゃんは私たちの犠牲者でもあるんだわ」
 「それは違います。印の子の立場はいつだって悪かったんです。そして私は運が良すぎたんです。それだけなんです」

 

 『がんばって歌を歌おう。そうして、そうやってがんばって歌って、いつかにいさまに会えたら、私はこんなにがんばったよ、強くなりました、とてもたいへんだったけれど、それでもずっとがんばってきましたと言おう。』

 

 かえでさんは私たちを苦しませるようなことはしない、絶対に。

 だってかえでさんは、私たちのことが好きだったんだから。

 小さな女の子は冷たい壁にもたれかかり、しゃがみこんで自分を励まし、寂しさと心細さにつぶされそうになって、それでも必死に涙をこらえながら、最後にこう締めくくりました。

 

 『きっとにいさまはほめてくださるわ』

 

 「あのプライドの高い王国軍が同盟軍を受け入れようとしていたなんて記録が残ってるなんて、それだけでびっくりだわよ。これは貴重な一品ね」
 「あの国の体質から言って、この記録は恥でしかないでしょうね」
 「正直、同盟軍のほうでもね、降伏させて安心させておいて皆殺しにする作戦なんじゃないかって言ってたのよ」
 「そういう作戦が絶対になかったとは言い切れませんが、記録にはありませんでした」
 「じゃあなんなのかしらね。中途半端に記録なんて残して、でもまた消してしまおうなんて」
 「…………」

 私もいろいろと考えました。しかしそれらは推測でしかありません。おそらくかえでさんたちの故郷、竜神の谷が関わっていること、それが鍵であるとは感じていますが、今のところそれを裏付ける証拠が無いのです。だから軽々しく口には出せません。
 それに……。

 「おもしろいじゃないの」

 ここにいるのはかえでさんじゃない。
 少なくとも、私が憧れ大好きだったかえでさんとは違う。

 今はユースに何かしらの期待をしているように見える。しかし、目の前のこの人はユースがその期待に答えなかった場合、おそらくあの子を殺すだろう、そう思えるのです。そして他に人材となり得る人間を探してさまよい続けることだろう。

 「ユース様がどれだけ成長なさってくださるか、楽しみだわ」

 かえでさんの歌には嬉しさがあった。悲しみがあった。希望があった。絶望があった。

 冷え冷えと横たわる孤独も、埋めても埋めても埋まらない底なしの孤独もこの人は知っていた。
 だからみんなこの人の歌が好きだった。好きになった。

 

 ――楽しい優しい人になんなさい!
 ――おはようございますとおつかれさま、ありがとうとごめんなさいが素直に言える子になってね。
 ――大好きよ、みんな、大好き。

 

 そう言ってくれる貴女が好きだった。


 「相手にとって不足無しよ」

 かえでさんはそう言い、本を置いて退出して行かれました。彼女の姿が遠くなるにつれ、頭の中に響く音と映像は薄れてゆきました。今はどうやら彼女が死ぬ直前の記憶のようです。彼女は故郷へ続く扉を叩いて叫んでいます。

 

 『私は扉を叩き続け、「かえして」と叫び続けた。しばらくしたら、中から兄様が出てきた。これは幻だと思ったわ。だって最後の最後に愛しい人の幻を見るくらいいいじゃない。そうでしょう。嬉しい、嬉しいよ兄様。幻でもいい。大好きよ兄様!
 でもこれは本物の兄様だった。

 だってホラ、剣が私を貫いてきた。
 心臓を一直線に狙って寸分の狂いもなく突き刺さってきた。』

 

 かえでさんが残していった本を、私は手にとりました。
 これは既製品の本のカバーをかぶせてごまかしてありますから、一見しただけではそんなに重要な本だとはわかりません。
 本来の中身はよくあるSFホラー小説でした。異星人が侵略をもくろみ、人類の中へ紛れ込んでくるという内容です。この本の主人公は通信機にときどき混ざってくるノイズに悩まされ、それがきっかけで異星人の存在に気付くのです。

 

 『私が会いたかったのは、優しい言葉をかけてくれて、触れてくれて、抱きしめてくれる、そんな兄様に会いたかったのだもの。私が望んだ幻の兄様だとしたらそうしてくれるはずだもの。でも結局そんなのは全部夢だったのね。本物の兄様だからこそ、私はこうして刺されたの。』

 

 通信機に混ざってくるノイズ。主人公はこの音をわずらわしく思いながらも、物語のラストにはこれが大変なヒントであったと気付くのですが、時はすでに遅く……というお話でした。最初に読んだそのときは陳腐な内容だと思いました。

 

 『ほぅら見て。
 私、兄様に殺された。
 兄様は私を殺したの。』

 

 私は、今まさにその状況にあります。かえでさんの中にいる誰かから送られてくるノイズに悩まされている。これが何を示しているのかはわからない。しかし恐ろしい。

 かつて鼻で笑ってろくに気にも留めなかった「静かな夜に」という、その本のタイトルが今の私を、あざ笑っていました。