リーア出発前日



 このころのユースは非常にいら立っていました。道を歩いていても、学校に行っても、どこからか自分を指差して笑ったり、ひそひそとうわさする声が聞こえてくるからです。

 「あ、あの子だ」
 「私も見た。そっくり!」
 「こわーい!くすくすくす…」
 「笑っちゃ悪いよ…くすくす…」
 
 万事、どこへ行ってもこの調子でした。イライラは増すばかり。当たり前です、ユースには何の責任も無いのですから。…この時点では、の話ですが。
 なにせ農耕都市レトメーデの収穫祭の時期ですから、いろんなところにいろんな人がいました。そこでうわさはうわさを呼び、絡み合い、余計な尾ひれがつけられたりして、さらにユースは好奇の対象になっていました。普段知ってる人に言われるならともかく、全然知らない人にあれこれ言われる筋合いはない!彼はほおをぷっくりふくらませて家に帰ってきました。

 「ただいま!腹立つ!腹立つー!!」
 「おかえり〜。大変だったね〜」

 玄関を開けるなり、この子はストレス発散とばかりにぎゃんぎゃんわめきました。それをリーアがねぎらいます。最近は学校に行って帰ってくるだけでたいそう疲れる彼なのでした。

 「俺が何したよ!!神殿に幽霊が出るとか、俺が知るわけないじゃん!!」

 今にも蒸気を噴出しそうな勢いで床をどんどん踏み鳴らします。そう、毎年行なわれる収穫祭でしたが、この年は少し違いました。神殿に収穫物をおさめに行った者達が「幽霊を見た!」と騒ぎ出したのです。
 その人たちの中に、ユースの近所の人がいました。その人が言った「あの幽霊、ユース君に似てたな」という言葉が発端でした。そのせいでこの数日というもの、ユースはすっかり見世物状態なのでした。普通、幽霊の話などは怪談になると思うのですが、どういうわけか笑い話になって広まっていました。その「ユースに似た幽霊」見たさに神殿に忍び込むという不埒者も出る始末で、のんきなこの地域では珍しく警察が出動したりしていました。
 そして、本当に忍び込んだのか、幽霊とやらを確認したのかわからない人たちが、かなり無責任にいろいろと言いふらしていたのです。「ユースタットという子と神殿に出る幽霊はソックリだ!」と。武勇伝のつもりなのか知りませんが、迷惑なことです。

 ユースにとっては災難だったとしか言うほかありません。

 家の者もみなそのことは知っていたので「まあまあ」となだめてはいましたが、本心では興味津々でいました。実のところ、私も当時はいろいろと話を聞いて面白がっていたクチです。

 このころ、『ハルニスの家』に住んでいたのは全部で7人。上からシュウ20歳、リーア16歳、ヒサギ15歳、ユース12歳、ザイ10歳、アン5歳、カティ3歳というメンツでした。全員、血のつながりはありません。親のいない子がほとんどですから、いわゆる「孤児院」に近い家だったと考えてくださればけっこうです。ちなみに「保護者」にあたる人は、そのころ別の場所にいましたが、収穫祭には帰ってくるという話でした。

 家事一般は全員が分担して行なっていましたので、このように傷心の少年もこき使わなければなりません。リーアが(笑いをこらえながら)激励します。

 「こんなのも収穫祭までだから、あんなうわさほっときゃいいの。気にしないで大丈夫だから!宿題やって、その後お風呂掃除でしょ?ね!元気出して!」
 「………リア姉、ほんとは面白がってるでしょ」

 バレてた。

 けれどここで引き下がるわけにはいきません。彼女は明日には遠出しなくてはならない予定があったのです。なんとしてもここで彼の今日の「お風呂当番」をこなさせなければなりません。上の子がやらないと下の子に示しがつきません。

 リーアは年長者として、普段家事全般をとりしきる立場から、ぐっと力を込めてユースに向かいました。彼女にもプライドと責任があるのです。彼女の将来の夢は教師になることでした。こんなことでくじけてはいけません。自分の家の子供一人励ますことができなくて、どうやって数十人の子供達を導くことができましょう。

 いずれ母となるために、生まれながらにして女性に備わっている“母性”…そんなものをできる限り自分の奥深くから引き出すようにして、リーアは自愛に満ちた目、表情を作り、できる限りの優しい声で耳元につぶやきました。


 「こないだの国語のテスト、お父さんにばらすよ?」


 これを聞いたユースはお風呂場へ飛んでゆきました。

 これでよし。「将来は教師になりたい」という人間が使う手段かよ!という声が聞こえてくるようですが、教師とて人間です。生活があるのです。公私はわきまえねばなりません。そりゃ生徒と自分ちの子は違うでしょう。
 「よそはよそ!ウチはウチ!」と言うように、ウチにはウチにはやり方があるのです。リーアは満足げに少年の背中を見送りました。脅迫?そんな言葉は彼女の辞書にはありません。