5・解剖




 農耕都市レトメーデの神殿では、豊穣の女神レトメーデ・セレックを奉っています。太陽の光と雨とをたっぷり浴びて農作物が豊かに実りますように、家畜がのびのび健康に育ちますようにという願いを込めて、神殿は太陽の光を存分に取り入れるデザインになっています。日中、陽が差し込めば差し込むほど、ガラス細工の天井はきらきらとその光を吸収し、神殿の中を照らします。当然宝物蔵もそのようにできており、カイェクたち3人が入った時もまぶしいほどに内部は明るく、きらびやかに輝いていました。納められている宝などは、日の光を浴びることによる劣化を避けるために、さらに厳重に、特殊な箱に入れられています。

 事態が事態でなければ、誰もがこの宝の山を前にしてため息をついたことでしょう。

 しかし、この時まず3人が目にしたのは、血を撒き散らして転がっていた緑色の化け物の死骸でした。身の丈は2m以上、肩が恐ろしく発達し、その腕の太さは熊かと見紛うほど。背中には申し訳程度に小さな羽根のようなものが無気味に生えていました。眼球は白く濁っています。この化け物は盲目なのでしょう。
 しかし何よりその場の人間を慄然とさせたのは匂いでした。肉の腐った臭いです。血の腐れた臭いです。その化け物からは強烈な死臭が漂っていたのです。

 警官はこれを見たのは二度目でしたが、さすがに鼻と口を覆って目をそらしました。初めて彼がこれを見たときは嘔吐をこらえきれなかったそうです。少年警官にいたっては言うまでもありません。本当なら二度と来たくはなかったはずです。

 「収穫祭初日、大人たちが神殿に集まっているときに、この化け物の叫び声らしきものが響いたそうです。それで驚いた支神長様が扉を開き…そのときに一般人の何人かが中を見てしまって…。そしてユースタット君とヒサギ君が行方不明になったことと重ねて、二人がこの化け物に殺されてしまったんだと考える人が出てきてああいう騒ぎに…。支神長様も二人は殺されたかもしれないと考えているご様子で…」

 説明する警官の顔は真っ青でした。

 「おっさん、無理しなくていいよ。帰ってもいいよ」

 助手がどこから取り出したのか、マスクをしながら言いました。警官とカイェクにもマスクを渡しました。カイェクは「慣れない人にはつらいだろうよ」と言いながらマスクをつけて、化け物の死骸に近づきました。助手も、薬箱を抱えて一緒に着いてゆきます。
 宝物蔵はその化け物の血で赤くどろどろと汚されていました。その血からすら死臭が漂っていました。警官はしばらく入り口に立っていましたが、厳しい表情を作って二人についてゆきました。それを見て助手が言います。

 「無理しなくていいって言ったじゃん」
 「いや、私は二度目ですし……」
 「俺らはもう20回ぐれーやってるよ。お師匠様はもっとやってる」
 「は?」
 「だからさーえーとね。俺らは慣れてるけどさー、今からやること、かなりえぐいからさー。やめるなら今のうちってこと」
 「何をするんです」
 「解剖」
 「え?」
 「あんたもマスクしなよ。ほい」
 「あ、どうも」

 警官がマスクをつけると、カイェクが助手に手を差し出しました。助手は薬箱を開けて、中から解剖用の器具を取り出し、カイェクに渡しました。2人が何をするつもりなのか、やっとこの警官にも理解できました。この化け物の死骸を解剖しようというのです。カイェクは慣れた手つきで化け物の体を割いてゆきました。その切り開かれた箇所から、またさらに毒々しい臭いが立ち上ってきました。

 「げぇっ……」
 「オイ、吐くなよ」
 「こ、この化け物は何です!?」
 「知らねー」
 「知らんってあんた…」
 「お師匠様は知ってるみたいだけどねー。聞いてみたら?」

 カイェクは一心に化け物の解剖を続けています。化け物の内臓は、これまた緑や青といった薄気味の悪い色なのでした。それを見てまた警官は気分を悪くしたらしく、目をそらして口を押さえて震えだしてしまいました。それに気付いたカイェクが助手に言いました。

 「セイ、その人を外に連れてってやれ」
 「何で俺が」
 「ここまで連れて来てくれた人だろ。少しくらい面倒みてやれ」
 「いいえ、私はまだ大丈夫です!」

 警官はカイェクに対する恩義からなのか、職務だからなのか、解剖に付き添うことに固執しました。その様子を見て、カイェクは「この化け物は禍鳥というんだ」と初めて説明しました。

 「まがどり?」
 「こいつは人間の死体を好んで食う」
 「人間の……」
 「だから」

 カイェクは少し、言葉を選んでいたようでしたが、すぐにこう言いました。

 「もし子供達が死んでいるなら、間違いなくコイツの腹から二人の死体が出てくるはずだ」
 「あ……」
 「あんたたち、この化け物について知らないんだろう?知ってればとっくに解剖してるはずだ。けど、思い出しただけで青くなってるあの坊ちゃんにコイツを解剖するなんて考えはないでしょう」

 坊ちゃん、というのは少年警官のことでしょう。家柄がいいのか、若くしてそれなりの地位についているようでしたが、いかんせん若さゆえに実戦も経験も、未知のものに対する度胸もまだ無いのです。

 「二人を指名手配するというなら勝手にしてくれ。私は私で探す。あんたらもあちこち探したらしいが、禍鳥の腹の中までは探さなかった。だから二人は未だに見つからない」
 「は…」
 「あとは剣だ。どうして二人は剣を選んで消えたんだ。もっと小さくて軽くて高価なものはいくらでもここにあるのに」
 「それは…この化け物に襲われて、宝の中からたまたま剣を見つけたからだろうと…。それに普通の子供達がそんなに目が肥えているとも思えませんし…」
 「何がたまたまだ。二人が入り込んだ抜け道っていうのはあれのことですね?」

 カイェクは宝物蔵の入り口と、ちょうど向かい合わせになっている扉を親指で指しました。扉は開いたままでした。抜け穴…と呼ぶには少し堂々としすぎているくらい立派な扉でした。

 「はい。あの抜け道をたどってゆくと神殿の裏庭に続いていました」
 「裏庭から入り込んで、ここまでたどり着いて、扉を開けて、禍鳥に襲われて、たまたま見つけた剣を持ったまま逃げた…と、あの坊ちゃんは考えているわけですか」
 「そうです」
 「馬鹿な」
 「なぜです」
 「そこにツルハシと斧が転がってるのが見えんのですか。あれはウチにあったはずの物ですよ。ランプは…新しく買ったのかな。まあ二人が抜け穴を見つけてここまで来たのは事実、剣を持ちだしたのも事実でしょう。しかしどうして最初から持っていた武器を捨てて、わざわざ厳重に保護されて飾られてる宝剣を選んで逃げなきゃならんのです。丸腰で逃げたほうがよっぽど早い。それがわからんほど馬鹿な子たちじゃなかった。あいつら逃げることは得意だったからなぁ」
 「剣のほうが戦いやすかったから…ではないでしょうか…」
 「冗談じゃない」

 カイェクは話しながらサッサと禍鳥の死骸を切っていましたが、なかなか思うように切れないようでした。彼は解剖に慣れてはいます。しかし手が震えて、苛立っている様子でした。

 「誰がこの化け物を殺せるっていうんだ!見てみろ!こいつは頚動脈を両方斬られて殺されてる。こんな殺し方をすればそこらじゅう血が飛び散って当たり前だ。それにあの二人がこんなに強いわけがないだろう。子供が二人がかりで倒せるような化け物だと思ってるなら大間違いだ。だいたい私は剣の使い方も、こんな殺し方も教えていない!」
 「それじゃ、誰が」
 「それが問題なんです。二人の死体がこの中から出てくれば指名手配もクソもない。死んでるんだから。だが、宝剣がなくなってるということは少なくともどちらか一人、運が良ければ二人とも生きている。にも関わらず、警察が捜索したのに二人は見つかっていない。そして二人に禍鳥を殺せるほどの力量は無い…」

 カイェクの手が止まりました。禍鳥の胃袋を探り当てたのです。ここを切り開けば、少なくとも二人の生死がはっきりするのです。助手が、カイェクの汗をぬぐいました。

 「誰かが手引きした可能性があるということだ。子供が二人と、誰かが…何人かはわからないが、抜け道からここへ入り込んだんだ。禍鳥を殺したのはその人物でしょう。宝剣を使って禍鳥を倒したんだ。そこのツルハシも斧も血がついてませんしね」
 「しかし…誰が手引きしたっていうんです。この化け物を殺せるほどの人間ならそこそこ有名でしょうに。だいたい収穫祭一日目は、大人は病人や怪我人を除いて全員神殿に集まっていたんですよ?子供達だって家でじっとしていたはず…」
 「ウチの子二人は別だったようですがね…さて…」

 禍鳥の胃袋が切り開かれました。

 「鬼が出るか蛇が出るか……」

 警官はさすがに目をそらしました。カイェクはしばらく胃袋の中をかきまわして、言いました。

 「……いた」