6・暗闇




 カイェクが禍鳥の中からヒサギの破片を見つけたころ、ユースは真っ暗闇の中で丸くなっていました。なるべく小さく小さくなって、毛布にくるまって眠っていました。収穫祭初日の夜、宝物蔵から逃げ出して以来、ずっとそうしていました。

 何日分かはわからないけれど、かなり長い時間が過ぎました。空腹は感じていませんでした。そこでは何の音もにおいもしませんでした。カラッポの胃を刺激するような香ばしい匂いや、学校へ行くためにバタバタと慌しく支度をする音もしませんでした。本当に真っ暗闇。起きるきっかけがありませんでした。何よりユース自身が起きようとしませんでした。眠いからとか寒いからという理由ではなく、起きようという意志が湧きませんでした。冬眠中の動物のように、生きているのか死んでいるのか、夢かうつつか、という状態になって、ユースは何日もそうしていました。
 しかし、やがて尿意を覚えました。起き上がらなくてはならなくなり、そのとき初めて自分の体がひどく重くなっているのを知りました。食事を摂っていないのですから当然です。やっとのことで体を起こすと、誰かの手が彼の手を引きました。

 「こちらですよ」

 その声に従って暗闇の中を歩き、用を足すことができました。そしてまた毛布にくるまってウトウトと過ごしました。
 ユースは覚えていませんでしたが、この数日の間に何度か水分を摂っていたのです。喉の渇きを感じると、そっと吸いのみが口にあてがわれました。それを飲んでいたので、彼は渇いて死ぬことがなかったのです。
 それから、入浴ができないので体を拭いてもらっていました。また、眠っているときに優しく体をなでてもらっていました。何もかもが暗闇の中でのことで、ユースの記憶には残っていませんでした。

 じきに、用を足すために歩くこともつらくなり、やがて起き上がることもできなくなりました。そうなってから、やっとユースは食べ物を受け付けるようになりました。食べなければ、動くことができない。食べなければ死ぬという、動物的な直感がさせた行動だったのでしょうか。

 「どうぞ」

 何か、焼き菓子のような感触のものが口元にあてがわれました。ユースはそれをかじって食べました。パンでもなく、菓子でもなく、妙な味でしたが、嫌いな味でもありませんでした。よく噛んでみると、口の中でなんとなく甘くなるようでした。その不思議な食べ物は乾燥しきっていたので、水分と共にそれを食べました。
 このあたりからやっとユースは意識もはっきりしてきて、自分が生きているらしいことを知りました。しかしこの暗闇がなんであるか、自分がどこにいるのかということは考えていませんでした。ただ“生きている”というだけでした。人間らしく考えるというところまではまだ戻っていなかったのです。

 食べ物を受け付けるようになると、ユースは体を起こすことができるようになりました。普通に歩くこともできるようになりました。自分が何を食べているのかもだんだん検討がつくようになりました。
 たしかこれは、旅人の非常食です。いつかの収穫祭で口にする機会がありました。どこかで遭難したときのため、吹雪に閉じ込められて何日も足止めされたときのために食べるものです。味はともかく、人間が生き延びるために最低限の栄養は摂れるというしろものです。そういう非常食は、よく噛んで唾液と混ざり合うことで甘みが出る、ということを、ユースはどこかで聞いた覚えがありました。彼はこれを一日に2回か3回、食べました。

 相変わらずの暗闇でしたが、喉が渇けば水が与えられます。食事(非常食ですが)も与えられます。手を引いてもらって用を足すこともできます。不潔にならないように、体を拭いてもらえます。眠くなったら眠ります。目が覚めたら起き上がります。

 そのうちにユースは眠っている間、夢を見るようになりました。

 夢の中では家の手伝いとしてこき使われました。
 学校のテストで悪い点をとって落ち込みました。こっそり隠したけれど、すぐに誰かに見つかりました。そうするとおやつ抜きになりました。
 動物を追いかけたり木に登ったり森の中を駆けずり回って、毎日すり傷やら切り傷を作りました。お風呂に入ると沁みました。
 ヒサギと一緒に新しいイタズラを考えて盛り上がりました。小さい子たちに怖い話を聞かせて怖がらせてやりました。それを父に見つかって怒られました。おしおきとしてもっと怖い話を聞かされました。その夜は一人でトイレに行くこともできず、ヒサギと一緒によりそって眠りました。
 算数のテストで満点をとって、「えらいえらい」とハルニスの家のみんなに誉められました。父には頭をなでられて髪の毛をぐしゃぐしゃにされました。
 ご飯はいつもみんなで食べました。小さい子に好き嫌いがあると、他の人に聞こえないように「少し任せろ」と言って半分だけこっそり食べてあげました。その代わり好物のイチゴが出ると、その子から一つ横取りしました。
 やがて、神殿に幽霊が出るといううわさが出ました。ヒサギが確かめに行こうというので、いろんなものをそろえて探検を始めました。新しいランプ、ガラス玉、ツルハシに斧。
 裏口から入り込んで、明かりがつくことに二人で驚きました。夜中に家を抜け出しては迷路を進んでいくのが楽しくて楽しくて、何も考えずに進みました。やがて二人は大きな扉を見つけました。きっとここがゴールなのです。ヒサギが一生懸命、扉の鍵を開けようとしました。ランプの油が限界でした。だから、一度自分でも試してみたくてユースは「俺にもやらせて」と替わりました。鍵はユースに触れられるのを嫌がるかのようにあっさり開きました。扉が開いてゆきました。ヒサギが「よし!入ろう!」と言いました。

 「やめろ!行くな!!」

 ユースが止めるのも聞かずにヒサギはどんどん中へ入っていってしまいました。
 声が聞こえていない様子で、進んで行ってしまいます。
 自分は金縛りにかかったように動けません。
 緑色の大きな怪物がいました。
 ヒサギは気付いていません。
 そのまま行ったら危ない!
 止めなきゃ!!
 止まれ!!

 ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!

 ここでユースは目を覚ましました。全身に汗をかいていました。全身がガタガタ震えました。「ううううう、うう…」とうなって頭をかきむしり、胃液を吐きました。

 「嫌な夢を見たのですね」

 汗をぬぐうための布が差し出されました。ユースがそれを受け取らないので、勝手に着替えをさせられました。

 「やっとお声を聞くことができました」

 優しい女の声が聞こえました。そう、この暗闇の中でユースの世話をしていたのはこの女性でした。ユースはあの夜以来、一言も声を出していなかったのです。悪夢がきっかけとはいえ、この時やっとユースは声を出したのでした。

 「あああ……」
 「どうぞ、ゆっくりと息をなさいませ」
 「………」
 「少しお吐きになりましたね。口をすすいでください」
 「見えない…暗い…」

 女性が何か持ってきました。ユースはひんやりとした物を持たされて「これはなんだろう?」と思いました。

 「見えないのはあなたが目を閉じているからです」
 「え?」
 「目を開けてください。声を出せたのですから。次は目も開けられるでしょう」

 ユースは目を開けました。そこは暗闇ではありませんでした。明かりもついている、れっきとしたどこかの部屋でした。目を閉じていたので見覚えはありませんが、ユースはたしかにこの部屋で何日も暮らしていたのです。
 それから、ずっとそばにいて世話をしてくれていた女性を見ました。黒くて長い髪に、黒い目の若い女性です。赤い着物に黄色の首巻をしていて、20歳くらいに見えました。目が合うと、女性は微笑んで「よくがんばってくださいました」と言いました。どこかで見たような顔だと、ユースは思いました。

 「お姉さん、どこかで会ったことある…?」

 女性は答えず、ユースの手にあるものを指差しました。手鏡でした。ユースは顔にもしょっちゅう怪我をするので鏡はよく使っていたほうですが、あまり自分の顔について考えたことはありませんでした。そこで初めてじっくりと自分の顔を見ました。
 黒くて丸っこい目にちょこんとした鼻、輪郭も丸っこい。どこかで見たことのある顔でした。鏡に映る自分の顔と、女性の顔を並べてみました。見覚えがあるのは当たり前でした。その二つの顔はそっくり同じなのです。ユースの背中にぞぞっと冷たいものが走りました。
 何か声を出そうとするユースを、女性が制しました。

 「誰かが来ました。しばしお静かに」

 誰かが部屋の扉を叩きました。石造りの部屋に、石でできた扉です。ユースも女性も声を出さないでいると、扉の向こうから先に声が聞こえました。

 「ユース、そこにいるのか?」

 カイェクの声でした。