9・音




 カイェクが一通り現在の状況を話し「明日また来る」と言って去った後、オアシスの中ではこんな会話がされました。女性もカイェクの言葉を聞き、壁をすり抜けて確実に他に人間がいないことを確認しました。そこでやっとユースに声をかけました。

 「指名手配…時効は三年、だそうですわ」
 「………」
 「なぜ今、お父様にお会いしなかったのです。ずいぶん長く会っていなかったのでしょう?」
 「うるさい!!」

 このときユースの頭に響いていたのは、父の言った「ヒサギの葬式が済んだ」「化け物の死骸も処分した」という言葉でした。そうだ、ヒサギは死んだのだ。あの収穫祭の夜、自分たちは宝物のたくさん置いてある部屋に入り込んだ。
 一ヶ月ぶりに言葉を発し、目を開けたユースは、やっとその夜のことを現実としてとらえることができました。

 あの夜、ヒサギとユースは扉を開けて、神殿の奥へ入りました。幽霊退治に来たはずだった二人でしたが、なんだか呆然としてしまいました。宝物蔵の中はほのかな明かりがさまざまな宝を照らし出しており、さらに空からは月の光が差し込み、一種幻想のような美しさで二人を迎えました。

 「すごいな…」
 「うん…」

 二人とも、本当はここへは入ってはいけないのだろうことは薄々感じていました。しかしそれよりも、迷路を探検し、突き進み、そのゴールにひかえていたこの美しい品々に心を奪われていました。宝石が燦然と輝く首飾り、巧妙な細工がされた腕輪、特殊な顔料で彩られ石をはめこまれた宝冠などが展示されていました。ツルハシも斧も放り投げ、二人は時間を忘れてあれこれ見入りました。
 しかし、中にはおかしなものがありました。先に気付いたのはヒサギでした。

 「なあ、あれ」
 「え?」
 「なんだあれ」
 「うわっ」

 緑色の怪物がガラスの奥に展示されていました。大きさもさることながら、白く濁った瞳がまずユースには恐ろしく感じられました。ユースはどきどきしながらランプを持って怪物に近づき、箱を踏み台にしてよーく観察することにしました。
 ずんぐりとした肩が異常に強そうで、手も足も人間より長いくせにずっと強靭な筋肉がついていました。頭に少しだけ黒い髪があるかな、という程度で、体毛はなく、体はほとんどつるつる。顎がひどく発達していて、犬とか猫ならばりばりと食べてしまいそうに見えました。腕の大きさと同じように、手のひらも大きい。けれど五本の指の先には鋭い爪がついていました。見るからに凶悪そうな怪物です。

 「気持ちわりい〜。なんでこんなの飾ってあるんだろなー」
 「死んでるのか?」
 「死んでると思う」
 「場所替われよ。俺も見てみたい」

 そう言われて、ユースはヒサギに踏み台とランプを譲りました。ヒサギは怪物をしばらく観察していましたが、うーんとうなってこう言いました。

 「誰かがこの怪物を倒して…それで記念に飾ってあるんじゃないか?」
 「そんな記念いらねぇ〜〜…」

 ユースはもう十分怪物を観察したので、他の宝物をいろいろとまた見て回り始めました。ヒサギは怪物によほど興味を持ったのか、ランプを光をあれこれ工夫しながらじっくり飽きもせず見つめていました。そのうち、ユースは「剣を取れ」と言われました。

 「剣?どこ?」
 「宝杖のとなり」
 「ほうじょうってなに?」
 「杖のこと。すぐそこにある。上を見て」

 ユースが見上げてみると、そこにはなんだかいろいろな飾りのついた馬鹿でかい杖が飾られていました。これは“豊穣の女神が大地に命令を発するために使う杖を模したもの”だと解説がついていましたが、ユースは特に読みませんでした。その杖のとなりに、剣がありました。

 「剣ってこれ?」
 「そう。箱から出して、手にとって」

 ユースは言われたとおり、透明な箱で何重にも守られている剣を取り出しました。持って見ると、意外と軽く、しっくりと手になじむようでした。その剣は刀身自体が軽く強くできている上に、柄の部分の握りやすさが子供のユースにも扱いやすく感じられました。思わず試し切りをしてみたくなりました。

 「剣を貸して」
 「ちょっと待ってよ。何か斬ってみたい」
 「お前さっきから何ぶつぶつ言ってんの?」

 ヒサギの声が背中側から聞こえました。

 「えっ?」
 「あーあー展示物勝手に出しちゃって!元に戻すの大変だぞ、馬鹿!」
 「だってヒサギがこれ出せって言ったからじゃん」
 「俺、何も言ってないよ。一人でぶつぶつ言ってたのお前だろ」
 「え、だって」
 「それよりこの怪物だけどさ、なんだか…」

 ユースはまた声を聞きました。「剣を貸して!」と。ヒサギの声でないなら、誰の声なんだ、俺たちのほかに誰かここにいるのかと怖くなり、ヒサギの近くに行きました。

 「その剣、元に戻しとけよ」
 「いや、これ、だって…出せって、言われたから…」
 「誰もそんなこと言ってねぇよ。それよりこの怪物、なんだか動いてるみたいで…」

 また声が聞こえました。とうとう怒鳴るように「早く剣を貸して!!」と。ヒサギには聞こえていない様子でした。自分にしか聞こえない声。鏡になったり壁になったりするおかしな通路。勝手に開いた扉。

 自分たちがここへ来た目的は何だった!?

 ガラスの奥で怪物が動きました。死んでない。生きてる。怪物がガラスを破り、その爪がユースの右頬をかすめました。ほとんど一瞬の間のことでしたが、誰かがユースの目を覆い「目を閉じて!」と言いました。それに従って、ユースは目を閉じました。ユースが最後に聞いたのは、水の入った袋を叩きつけたような「びしゃっ!」という音でした。それきり音もほとんど聞こえなくなりました。そのままユースは一ヶ月間をオアシスで過ごしたのです。

 光も音も記憶も取り戻し、父の話を聞いたユースは、そばにいる女性に聞きました。

 「あれからどのくらい経った…?」
 「一ヶ月です」
 「ヒサギは死んだの?」
 「力至らず、申し訳ありません」
 「死んだのかどうかって聞いてるんだ!」
 「…先ほどあなたのお父様がおっしゃった通りです。死にました」
 「あ、あの怪物に…?」
 「はい。あなた様をお助けするのが精一杯でした。申し訳ありません」

 ユースは何か言おうとしましたが、言葉にならないようでした。

 「あの、宝の部屋で、俺に剣を取れって何度も言ったの、お姉さん?」
 「はい」
 「あと、俺たちが裏道を通ってくるとき、ときどき来た…?」
 「はい。お止めしようと何度も声をかけたのですが…」

 通路の壁がときどき鏡になるように感じていたのはこのせいでした。ヒサギには錯覚だと笑われましたが、違いました。この女性が壁の中からユースに何度も警告していたのです。この女性とユースはそっくりですから、そうやってときどき姿を見せる女性の顔を、ユースは鏡だと勘違いしたのです。そして姿だけは見せることができても、彼女の声までは届かなかったのです。

 「……あの怪物、死んだんだね」
 「わたくしが退治いたしました」
 「お姉さんが?」
 「はい。あなた様から剣を受け取り、その剣で殺しました」
 「それで剣を渡せ渡せって言ってたのかー……」
 「はい」

 ユースは右頬に貼られた大きな絆創膏を触りました。ここへ連れてこられたとき、血が出ていたらしく、手当てされたものです。ユースは女性を睨みました。

 「……俺にそっくりな幽霊が神殿に出るっていううわさが出てさ」
 「はい」
 「それで俺たち、幽霊退治しようって…裏口見つけて…いろんなもの買って…」
 「はい」
 「それで神殿に来たんだ。アンタのせいだ」
 「………」
 「アンタのせいでヒサギは死んだんだよな!!なぁ!?」
 「申し訳ございません」

 頭を下げる女性に、ユースは手当たり次第に物を投げつけました。枕から毛布からコップに皿に水を張ったタライに…。けれどそれらのものはすべて女性の体をすりぬけて床や壁に当たるだけでした。

 「死ねっ!!死ねお前なんか!!死ね!!」
 「申し訳ございません」
 「死ねっ!!死ね死ね死ね死ね死ね!!」

 ユースの憤りの言葉をひとしきり浴びてから、女性は顔を上げました。

 「わたくしはもう死んでおりますゆえ、死んで償うことが叶いません」

 それを聞いて、初めてユースは声をあげて泣きました。この女性が生者でないことはわかっていました。それを知っていても、彼は「死ね」以上に自分の怒りをぶつける言葉を知りませんでした。だから泣くしかありませんでした。

 ユースが宝物蔵から助け出される寸前に聞いた「びしゃっ!」という音。それは禍鳥の腕にはじきとばされ、壁に叩きつけられたヒサギが人間の形でなくなった音でした。